受験勉強は全部メールでした。勉強は,全部メールでした。就職活動は全部メールでした。仕事は,全部メールでした。お詫びの言葉は,全部メールでした。愛の告白は,全部メールでした。
ローマ法王,ヨハネ・パウロ2世が初めてインターネットを使い,120ページの声明文を発行した。その中で法王は,聖職者による性的暴行事件の被害者に謝罪している。
初めてのメールによる内容が,「謝罪」,であるというのは,なにか意味深さを感じる,と思う。例えば,メールでお詫びをすることを,あなたはどう思うだろうか? それを,失礼だと思う人もいる。お詫びをするのに,メールでは失礼であり,電話で直接話すとかしろよと,その人は云う。メールでは,気持ちが感じられない,失礼だと云う。まぁそういう人もいるだろうな,と私も思っている。
でも,法王はそうしたようだ。これは意味深い。そして,メールの価値をもっと高めたいと思っている私はうれしく思う。価値基準はなかなか変わらない。足を運ぶことが絶対だと云う人は多い。ワイヤードのネットワークこそ至宝,という考えはまだ一般的ではない。でも,法王はお詫びをメールで世界に流した。これは,ひとつの,ポイント,だ。このようなポイントの積み重ねで,世界が変わっていく。例えば,愛の告白のカタチの,普通のひとつがメールによるように。
|